綿打館

綿打館わたうちやかた
群馬県太田市新田大根町
Mapion

--大慶寺--
別名   
交通 東武伊勢崎線「世良田駅」から徒歩50分。
築城年代 鎌倉時代末期
築城者 綿打為氏
形式
主な城主 綿打氏
鎌倉時代末期、新田氏4代政義の2男である大舘館主大舘家氏の子綿打為氏により築かれたとされる。
1333年(元弘3)新田氏8代義貞による鎌倉攻めの際、弟大舘宗氏と共に従軍、その後も各地を転戦し、1338年(延元3)越前国で義貞が没すると、北畠顕家に従い、同年和泉国石津合戦で討死したという。
ぼたん寺で知られる大慶寺境内が館址。大慶寺は1160年(永暦1)源義平(悪源太)没後、その室(妙満尼)が父である新田義重を頼って世良田郷に住み、後に綿打郷に移ると義平の菩提を弔う為に一庵を結んだ事に始まり、その後綿打氏館が築かれたとされる。本堂裏手には土塁や空堀が残されており、墓地内には綿打為氏・氏義墓が立つ。
館址碑 新田不動尊 土塁
空堀 綿打為氏・氏義墓所 傍らに立つ五輪塔

参考文献 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
      「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2022年10月