山名氏豊館

山名氏豊館やまなうじとよやかた
鳥取県倉吉市東町
Mapion

--大岳院--
別名   
交通 JR山陰本線「倉吉駅」からバス「堺町」下車。
築城年代 1573〜92年(天正年間)
築城者 山名氏豊
形式
主な城主 山名氏豊
江戸時代に記された「伯耆民談記」によると大岳院境内は1573〜92年(天正年間)山名小三郎氏豊の館地であったという。
また大岳院境内には里見忠義と殉死八臣の墓所がある。1614年(慶長19)安房国館山城主里見10代忠義は、妻の祖父大久保忠隣の改易に連座して安房9万2千石は没収となり、鹿島3万石の替地として伯耆国倉吉3万石に移されると、打吹城に入城せず、大岳院門前に居住した。1617年(元和3)播磨国姫路城主池田光政が鳥取城に移ると、 倉吉には伊木忠貞が置かれた。それに伴い忠義は田中村を経て堀村(現在の関金町堀)に移され、1622年(元和8)同地で29歳の若さで亡くなるが、遺言により殉死八臣の遺骨と共に大岳院に埋葬された。この時大岳院で授けた忠義の法名を「雲晴院殿心叟賢涼大居士」といい、殉死八臣にも「賢」の字を付けられた事から彼らは「八賢士」と呼ばれていた。後にこれが滝沢馬琴作「南総里見八犬伝」のモデルになったのではないかといわれている。
山名氏豊と娘・駒姫を祀る駒姫八幡 里見忠義・八賢士墓所

参考文献 「山名氏豊館 Wikipedia」
                 「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年4月