打吹城

打吹城うつぶきじょう
鳥取県倉吉市仲ノ町
Mapion

--本丸に立つ城址碑--
別名 倉吉城
交通 JR山陰本線「倉吉駅」からバス「市役所・打吹公園入口」下車。
築城年代 1356年(正平11)
築城者 山名師義
形式 山城
主な城主 山名氏・南条氏
1356年(文正11)山名時氏の子師義が田内城から移り築いたとされる。
1524年(大永4)出雲国月山富田城主尼子経久が伯耆国に侵入すると、山名氏の諸城は次々と攻略され、打吹城もこの時落城するが、その後城を追われた諸将は毛利氏の援助を受けて復帰し、同時にその支配下に入った。
1580年(天正8)吉川元春が入城するが、豊臣秀吉による鳥取城攻め後、1582年(天正10)毛利・豊臣両氏の和睦が成立した後、羽衣石城主南条元続の支配下に置かれた。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、西軍に従った南条元忠は改易となり、米子城に入城した中村一忠が支配した。1609年(慶長14)一忠が亡くなると、跡継ぎが無かった為に断絶、幕府直轄領となる。
1614年(慶長19)安房国館山城主里見忠義が伯耆国倉吉3万石に移されるが、打吹城には入城せず、大岳院門前に居住したとされる。
1617年(元和3)播磨国姫路城主池田光政が鳥取城に移ると倉吉には伊木忠貞が置かれた。
1632年(寛永9)鳥取城主池田光政と入れ替わりで備前国岡山城主池田光仲が鳥取城に移ると、倉吉は家老荒尾嵩就が知行し、麓に陣屋を設けて治めた。
櫓を模した展望台 展望台からの眺め 備前丸
本丸 本丸天守台下石垣 本丸東下堀切
武者溜 白壁土蔵群・玉川 Mapion
脇屋義助墓・大蓮寺

参考文献 「現地案内板」
                         「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年4月