要害山城

要害山城ようがいやまじょう
山梨県甲府市上積翠寺町
Mapion

--本丸門跡--
別名 要害山城
交通 JR中央本線「甲府駅」からバス「積翠寺」下車。
バス停から登山口まで15分。
築城年代 1520年(永正17)
築城者 武田信虎
形式 山城
主な城主 武田氏
躑躅ヶ崎館の北東約2キロに位置し、1520年(永正17)詰城として武田信虎によって築かれ、以後武田氏3代にわたり使われた。
1521年(大永1)飯田河原合戦の際、懐妊中であった信虎夫人はこの城に避難し、晴信を生んだといい、本丸には武田信玄公誕生之地碑が立つ。
1575年(天正3)長篠合戦での敗戦以降、国内を固める必要性から南側の熊城と共に修築・整備された。
1582年(天正10)武田氏滅亡後甲府城が完成するまで躑躅ヶ崎館と同様に使用されたと思われるが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、廃城となる。
竪土塁 不動曲輪 門跡
曲輪跡 門跡 本丸
本丸土塁 本丸搦手門跡 本丸背後堀切
搦手堀切・土橋 竪堀 竪堀側面に残る石垣
搦手門跡 搦手石垣 搦手堀切

参考文献 「現地案内板」
                 「戦国武田の城 有峰書店新社」
訪城回数 2
2006年4月
2011年4月