伯方館

伯方館はかたやかた
愛媛県今治市伯方町木浦
Mapion
雅房夫妻墓所地図

--能島村上氏2代雅房夫妻墓所--
別名 伯方城
交通 「木浦港」から徒歩15分。
築城年代 1390年(明徳1)頃
築城者 村上師清
形式
主な城主 能島村上氏
1377年(天授3)釣島・箱崎浦合戦に勝利した三島村上氏(後期村上氏)の祖といわれる村上師清が1390年(明徳1)頃、伯方島木ノ浦の領家職としてこの地に入部した時に築いたと考えられる。この伯方本館を中心とし、周囲の海岸の出鼻や小島に多数の見張り台や枝城が配置され、総称として伯方城と呼ばれる。
1419年(応永26)頃、村上師清の跡を長男義顕(吉顕)、次男顕忠(吉房)、三男顕長(吉豊)の3子(師清の弟義信の子義胤の3子とも)が相続し、それぞれ能島・来島因島3家に分立した。能島村上氏の祖となった村上義顕またはその子雅房は伯方城を大根城、能島城を詰城として内海に覇を唱えた。1569年(永禄12)5代村上武吉の時、伯方城には能島内巧頭義久が居たが、1585年(天正13)豊臣秀吉による四国征伐後、武吉と共に安芸国竹原に移り、伯方城は廃城となった。
能島村上氏菩提寺である禅興寺付近が館跡。禅興寺山門下の墓所は大深山と呼ばれ、大楠が立つ。この大楠は能島村上氏2代雅房(案内板では初代)没後、館の一隅に立てられた供養塔の後背に墓標として植えられた楠が成長したものと伝えられる。

参考文献 「村上一族のすべて 新人物文庫」
                      「愛媛県中世城館跡分布調査報告書 愛媛県教育委員会」
            「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2018年7月