板橋陣屋

板橋陣屋いたばしじんや
栃木県日光市板橋
Mapion

--案内板--
別名 板橋館
交通 東武日光線「明神駅」から徒歩15分。
築城年代 1532〜55年(天文年間)
築城者 板橋将監親棟
形式 陣屋(館)
主な城主 松平一生・成重
1532〜55年(天文年間)宇都宮城主宇都宮氏と壬生城主3代壬生綱房との勢力争いが激化し、綱房は後北条氏に加勢を求めると、後北条氏家臣で武蔵国板橋郡板橋氏一族といわれる板橋将監親棟が派遣され、遊城坊綱清を攻め滅ぼし、新たな板橋城主となった。この時山城と共に平時の居館として整備されたと考えられる。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻め後、日光領は秀吉に没収され、結城秀康に与えられたが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、越前国へ転封となると、松平一生・成重父子がこの地を中心に加増され、1万石で板橋藩が成立、松平氏の居館はこれまでの館跡が利用された。
1617年(元和3)徳川家康没後、日光東照宮が創建されると、この地一帯は御神領となり、廃城となった。
板橋城北西麓に位置する館跡は一町四方の方形館で周囲の低地からは比高3メートルの台地となっている。中央部をJR日光線が通っており、破壊された個所も多いようだが、付近には城の内・お堀端・橋際・屋敷等の地名が残されている。
南から見る館跡 西側 中央を通る日光線
館跡 東側を流れる水路 板橋城から遠望

参考文献 「とちぎの古城を歩く 下野新聞社」
           「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2021年2月