滋賀県守山市金森町 --善立寺-- |
別名 | 金森御坊・金森道場 |
交通 | JR東海道本線「守山駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | |
築城者 | 川那辺氏 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 川那辺矩厚(道西) |
川那辺氏居城。川那辺氏は古くからこの地を治めていた在地領主で、金森集落の南、「字城ノ下」に城館を構えていた。1336年(建武3)川那辺厚高・厚房兄弟は湖上輸送権を巡る争いの際、武勲を立てたという。その後川那辺氏は浄土真宗に帰依し、道場を開いたとされ、度重なる山門衆徒の襲撃に備え、次第に城郭化していったものと考えられる。 1465年(寛正6)大谷本願寺が延暦寺衆徒に破壊されると、蓮如は近侍龍玄の叔父である川那辺矩厚(道西)を頼って親鸞絵像を金森に移し、金森道場を拠点に湖南地方への布教活動を行った。 1570年(元亀1)織田信長からの石山退去要求を拒否した顕如は全国の門徒衆に檄を飛ばし、10年に及ぶ石山合戦が始まる。これに呼応して金森・三宅を中心とする一向一揆勢は蜂起し、1571年(元亀2)城主川那辺藤左衛門秀政の時、佐久間信盛に攻められ落城したとされる。 また1524年(大永4)美濃国で誕生した金森長近は一家でこの地に移り、18歳まで居たとされる。その後織田信長に仕えて桶狭間合戦等、各地を転戦し、信長没後は豊臣秀吉に仕え、越前国大野城を経て、飛騨国高山城主となった。 |