石川県白山市古城町 --松任城址公園-- |
別名 | 鏑木城 |
交通 | JR北陸本線「松任駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1176年(安元2) |
築城者 | 藤原師経 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 鏑木常専・前田利家・丹羽長重 |
1175年(安元1)12月、後白河院の近臣西光法師の子藤原師高が加賀守に任ぜられると、翌年夏、師高の弟師経が目代として加賀国に入部した。この師経が設けた館に始まるという。 1183年(寿永2)加賀斉藤系武士団林氏の一族松任範光が入城すると、範利・利家・利成が続いて居城した。 1487〜89年(長享年間)頃から鏑木常専が居城し、1577年(天正5)手取川合戦前後、その子頼信が拠る松任城は上杉謙信に攻め落とされた。 その後松任城や小松城には一向一揆方部将若林長門守が拠ったというが、1580年(天正8)柴田勝家勢に攻略されると、鳥越城主鈴木出羽守ら、一向一揆を指揮していた将は松任城に呼び出され謀殺されたという。代わって徳山則秀が在城し、1583年(天正11)越前国府中から前田利家が豊臣秀吉から松任4万石を与えられて在城、1585年(天正13)秀吉の直轄地となると寺西秀則が代官として在城、1587年(天正15)越前国北ノ庄城から丹羽長重が4万石で入城し、1598年(慶長3)小松城へ移った。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、再び前田利家が松任4万石を与えられると赤座吉家が城代となった。1614年(慶長19)一国一城令により廃城となる。 現在城址一帯は市街地化されている。本丸跡は松任城址公園となり、南西隅に僅かに櫓台跡が残されているのみだが、城域は広大であったとされ、区域を示す石碑が松任金剣宮・JR松任駅南・北陸信用金庫・聖興寺・信誠寺にそれぞれ建立されている。 |