三重県松阪市松ヶ島町 --東から見る天守山-- |
別名 | 天守山 |
交通 | 近鉄山田線「松ヶ崎駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1580年(天正8) |
築城者 | 織田信雄 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 蒲生氏郷 |
松ヶ島はかつて保曽久美(細首・細汲)といい、参宮古道に沿い、三渡川河口を控えた海陸交通の要衝であった。 1567年(永禄10)頃、北畠具教は織田信長の伊勢侵攻に備え、この地に細首城を築き、家臣日置大膳亮に守らせた。そして1569年(永禄12)の信長侵攻に際し、大膳亮は細首城を焼いて、大河内城に籠城したという。 1580年(天正8)織田信雄は、居城であった田丸城が焼失すると、細首城を大改修し、天守を備えたこの松ヶ島城を築き、新たな居城とする。 1582年(天正10)信長が本能寺で討たれると、信雄は清洲城へ移り、松ヶ島城には津川義冬を置いた。 1584年(天正12)小牧・長久手合戦の年、信雄は羽柴秀吉に通じたとして義冬を誅殺、代わりに滝川雄利を城主とした。雄利が秀吉軍の猛攻を受けて退去した後、近江国日野城から蒲生氏郷が12万石で入城する。 1588年(天正16)氏郷が松坂城を築いて移ると、城下の町人や寺社もすべて強制移住させられ、松ヶ島は瞬時に元の一漁村に戻ったという。 現在城址付近には往時の繁栄を偲ばせる字名が多く残されているが、一帯は宅地や畑となり、遺構は天守跡とされる小山のみとなっている。 |
西から見る天守山 | 天守山にある五輪塔の残欠 | 天守山から南東方面 |