松坂城

松坂城まつさかじょう
三重県松阪市殿町
Mapion

--裏門跡--
別名      
交通 各線「松阪駅」から徒歩15分。
築城年代 1588年(天正16)
築城者 蒲生氏郷
形式 平山城
主な城主 服部一忠・古田重勝
1582年(天正10)織田信長が本能寺で討たれると、松ヶ島城を居城としていた織田信雄は清洲城へ移り、松ヶ島城には津川義冬を置いた。
1584年(天正12)小牧長久手合戦の年、信雄は羽柴秀吉に通じたとして義冬を誅殺、代わりに滝川雄利を城主とした。雄利が秀吉軍の猛攻を受けて退去した後、松ヶ島城には近江国日野城から蒲生氏郷が入城する。
1588年(天正16)氏郷は松ヶ島城が手狭であった事からこの松坂城を築いた。その際吉祥の「松」と大坂城の「坂」を賜り、松坂城と名付けたという。
1590年(天正18)氏郷が会津若松城へ移った後、服部一忠、次いで古田重勝が入城し、1619年(元和5)古田重治が岩見国浜田城へ移り、紀州領となると、和歌山城主徳川頼宣は長野九左衛門を代官として置いた。
1657年(明暦3)大久保四郎右衛門が初代松坂城代を命ぜられると、以後松坂城には城代を置いて明治まで統治した。
1794年(寛政6)二の丸に紀州御殿(徳川陣屋)が設けられたが、明治に入り焼失している。
1881年(明治14)松坂城は松阪公園となり、その後隠居丸に本居宣長旧宅が城下から移されている。
表門跡 二の丸南東石垣 隠居丸石垣
太鼓櫓跡石垣 中御門跡 本丸下段
本丸下段・月見櫓跡 内側から見る本丸枡形虎口 本丸上段
本丸上段・金ノ間櫓跡 本丸上段北側石垣 本丸上段・敵見櫓跡
天守跡 きたい丸北側石垣 御城番屋敷・土蔵

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2012年10月