群馬県利根郡みなかみ町後閑 --虎口-- |
別名 | 天神山城 |
交通 | JR上越線「後閑駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 1532〜1555年(天文年間) |
築城者 | 後閑氏 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 真田昌幸 |
南北朝時代、会津国芦名氏に備える為、荘田城主沼田氏が築いた天神山城に始まると考えられ、1532〜1555年(天文年間)後閑氏により改築されると、明徳寺城と呼ばれるようになる。 1578年(天正6)上杉謙信の死による御館の乱に乗じ、沼田城は後北条氏の支配下に入る。この頃、東上州進出の機を窺っていた真田昌幸は岩櫃城を拠点とし、名胡桃・小川両城を攻略して、利根川西岸を固めた為、沼田城代藤田信吉は明徳寺城を改修すると、沢浦隼人・渡辺左近らを置いて真田勢に対峙した。 1580年(天正8)1月21日夜半、昌幸は明徳寺城を急襲して攻め落とすと、沼田城攻略の橋頭堡として更に改修し、祢津志摩守・出浦上総介らを置いた。そして同年5月、信吉は昌幸に通じて沼田城は明け渡された。 1589年(天正17)豊臣秀吉の盟約により沼田地方が後北条氏に渡された時、名胡桃城は昌幸の手に残った。ところが沼田城代となった猪俣邦憲が名胡桃城を奪った為、1590年(天正18)秀吉は小田原攻めを開始し、後北条氏が滅亡すると、利根・沼田は再び昌幸所領となり、明徳寺城は廃城となる。 |
明徳寺 | 城址入口(搦手)に立つ案内板 | 虎口 |
空堀 | 主郭 | 主郭土塁 |
腰郭 | 腰郭に建つ水子地蔵尊 | 南西から城址遠望 |