中山城

中山城なかやまじょう
群馬県吾妻郡高山村大字中山
Mapion
城址碑・案内板地図
--本丸・二の丸間空堀--
別名 おみ城
交通 JR吾妻線「中之条駅」からバス「五領口」下車。
築城年代 1582年(天正10)頃
築城者 後北条氏
形式 丘城
主な城主 赤見山城守・中山衆
1582年(天正10)頃、後北条氏により築かれ、真田氏との勢力が触れ合う「境目の城」という性格を持っていた。
1582年(天正10)6月、本能寺の変後神流川合戦厩橋城主滝川一益を破った後北条氏は信濃国に進出、真田氏を従属させ、佐久地域を押さえると一時的に無主地となった甲斐国領有を目指して甲斐国若神子に進出し、甲斐国新府城に拠る徳川家康と対峙した。しかし9月、突如真田氏が徳川方に転じ、後北条勢の補給路を断った為、10月、後北条氏は徳川氏と和睦し、撤退した。これにより上野国での後北条氏と真田氏との争いが激化する事となる。同年12月、白井に進出した北条氏政・氏直は北条氏邦を真田氏の拠点である沼田城岩櫃城の中間に位置する中山に向かわせ、この時中山城が築かれたと考えられている。赤見山城守・中山衆らが在番を命じられ、後北条氏にとって吾妻地域を維持する城であった。
1586年(天正14)真田方が赤見氏を討ち、中山城を攻略したと「加沢記」にあるが、真偽は不明である。
南麓に立つ城址碑 南東から城址遠望 捨曲輪・三の丸間空堀
三の丸 三の丸・二の丸間空堀 三の丸・本丸空堀
本丸南空堀 本丸 本丸に立つ城明神・五輪塔
本丸西土塁 本丸北空堀 二の丸北空堀
三の丸北上段 三の丸北空堀 東から城址遠望

参考文献 「関東の名城を歩く 北関東編 吉川弘文館」 
    「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年9月
2022年3月