東京都町田市下小山田 --大泉寺・裏山が城址-- |
別名 | 扇谷の要害・小山田の要害 |
交通 | 小田急多摩線「小田急多摩センター駅」から徒歩60分。 |
築城年代 | 1171年(承安1) |
築城者 | 小山田有重 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 小山田高家 |
1171年(承安1)桓武平氏流れを汲む秩父重弘の子小山田有重が小山田別当を称し、この地に居住した事に始まるといわれる。有重の子である二郎重義は小野路、三郎重成は稲毛、四郎重朝は榛谷を治め、勢力を伸ばした。 1205年(元久2)二俣川合戦後、畠山重忠謀殺に加担させられた重成・重朝ら小山田一族は討たれ、没落した。 1333年(元弘3)新田義貞による鎌倉攻めの際、重成の弟行重の末裔と伝わる小山田高家は小山田城を守っていた北条泰家の軍を追い、鎌倉へ攻め入り、1336年(建武3)湊川合戦で義貞を救い、討死したという。 室町時代中期以後、小山田地方は扇谷上杉氏の支配下に入った。この時小山田城は改修されると、武相国境の要衝として重要視され、1476年(文明8)長尾景春の乱の際、景春方に対する重要な拠点になったが、景春家臣宝相寺・吉田勢に攻められ、小野路城と共に落城した。 後北条氏時代、小山田荘は小山田弥三郎という人物が領していたとされる。この弥三郎を郡内小山田信茂とする説もあるが、詳細は不明である。 |
大泉寺境内に立つ城址碑 | 小山田一族供養塔 有重・行重・高家3人の 供養塔と言われる |
城址西側 |