秋田県由利本荘市矢島町矢島町 --矢島小西側に立つ城址碑-- |
別名 | 八森城 |
交通 | 由利高原鳥海山ろく線「矢島駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1467〜69年(応仁年間) |
築城者 | 大井義久 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 生駒高俊 |
1467〜69年(応仁年間)根城館主大井義久により出城として築かれたと考えられる。 1593年(文禄2)仁賀保氏に矢島を追われ、小野寺氏の下へ逃れていた4代満安が西馬音内城で自刃し、大井氏が滅亡すると、矢島城は仁賀保氏家臣である菊地長右衛門が城代を務めた。 1600年(慶長5)慶長出羽合戦において戦功を挙げた山形城主最上義光は徳川家康から由利一郡を与えられた。この時派遣された最上氏家臣である楯岡満茂は本荘城を築いて由利郡内を統治し、矢島城には満茂弟である満広が3千石を分地され入城した。 1622年(元和8)御家騒動により最上氏が改易となると、翌年楯岡氏に代わって由利十二頭の一人、打越光隆が常陸国行方郡新宮から再びこの地に復帰、矢島3千石を領して入城した。しかし1635年(寛永12)2代光久が亡くなると跡継ぎが無かった為に断絶した。 1640年(寛永17)讃岐国高松城から改易となった生駒高俊が堪忍料として矢島1万石を与えられて入城すると、城内に陣屋が置かれ、明治に至るまで代々生駒氏が続いた。 1868年(慶応4)奥羽戊辰戦争の際、生駒親敬は官軍に属した為、庄内藩による鳥海山頂越えの奇襲を受け、陣屋は焼失した。 八森山と呼ばれる台地上に位置し、現在矢島小学校敷地となっている。西側に水堀や大手門跡が残り、生駒氏時代の陣屋遺構と考えられる。また東側、一段高い地には矢島神社が建ち、大井氏時代の本丸と考えられる。 |
藩校・日進堂跡 | 旧桜小路跡 | 水堀 |
矢島小学校 | 矢島神社 | 矢島神社からの眺め |