浅井畷古戦場

浅井畷古戦場
石川県小松市大領町

1600年(慶長5)8月9日
前田利長×丹羽長重
Mapion

--古戦場碑--
交通 JR北陸本線「小松駅」からバス「大領」下車。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、石田三成が挙兵すると、その7日後の7月26日、東軍方の金沢城主前田利長は西軍に従う小松城主丹羽長重を討つべく2万5千を率いて出陣した。しかし小松城の守りが堅固であった為、同じく西軍に属す山口宗永居城の大聖寺城へ進軍し、8月3日攻略した。
利長は更に南下し、青木一矩が拠る北ノ庄城へ進軍するが、その途上、敦賀城主大谷吉継が北ノ庄城救援に出陣した事、また海路北上し、留守にしている金沢へ向うという情報を得た利長は急遽撤退を開始する。これは吉継が流した虚報であったといわれる。
8月9日、この小松城下浅井畷を進軍中、利長軍最後尾であった長連龍軍は、待ち構えていた丹羽長重勢に攻められ、多数の死者を出した。利長は無事金沢へ戻る事が出来たが、その後関ヶ原本戦に間に合わなかった。
住宅街の中にある小広場に古戦場碑が立ち、周囲には討死した前田方9士の墓碑が立つ。これらはいずれも戦いで倒れた方向に向けて立てられているのだという。

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
2014年4月