中八院古戦場

中八院古戦場
福岡県大川市中八院

1600年(慶長5)10月20日
立花宗茂×鍋島直茂・勝茂
Mapion

--案内板--
交通 西鉄天神大牟田線「八丁牟田駅」から徒歩25分。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、西軍に従った柳川城主立花宗茂は9月15日、前哨戦である近江大津城攻めに参加し、開城させる功を挙げた。しかし関ヶ原本戦で西軍が敗れると、10月2日柳川に帰城した。
同じく佐賀藩鍋島勝茂も西軍に加担し、山城伏見城伊勢安濃津城攻めに参加するが、関ヶ原本戦を前に佐賀へ戻っていた。戦後徳川家康の不信を受けた直茂・勝茂父子は西軍方毛利秀包の久留米城を開城させると続いて宗茂攻略の為、柳川領へ浸入した。
10月20日、佐賀勢とそれを迎え撃つ柳川勢はこの地で激突、小野鎮幸を大将とする柳川勢は先鋒立花三太夫の活躍もあり、一時は佐賀勢を突き崩すも衆寡敵せず、多数の死傷者を出し敗れた。
25日、加藤清正・黒田如水の仲介により両者の和睦が成立し、宗茂は柳川城を明け渡した。宗茂は改易となるが、その後奥州棚倉を経て、1620年(元和6)再び柳川城に復帰している。一方鍋島父子は戦功により本領を安堵されている。
立花三太夫地蔵 戦死者を祀る石神と伝えられる板碑 十時惟直3男惟久墓碑

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
2017年1月