小幡城

小幡城おばたじょう
愛知県名古屋市守山区西城2丁目
Mapion
案内板地図
--案内板--
別名    
交通 名鉄瀬戸線「小幡駅」から徒歩20分。
築城年代 1522年(大永2)
築城者 岡田重篤
形式 平山城
主な城主 松平清康・徳川家康
1522年(大永2)織田敏信・信安家臣である岡田重篤により築かれたといわれる。
1535年(天文4)12月、三河国を平定した三河国岡崎城主松平清康(徳川家康の祖父)は勢いに乗じて尾張に進出し、織田信秀の弟である信光が守る守山城を攻める。この時清康は小幡城に入城しているが、家臣の阿部弥七郎に誤って殺された後、小幡城は信光の居城となり、1555年(弘治1)11月、信光も殺され、一時廃城となった。
1584年(天正12)小牧長久手合戦の際、徳川家康はこの城を修築し、本多広孝らに守らせ、三河方面との連絡に当たらせた。そして4月9日、長久手において池田恒興・森長可ら、羽柴秀吉別軍に勝利した家康はすぐに兵をまとめて小幡城に引き揚げた。龍泉寺城に布陣した秀吉は翌日小幡城を攻めようとするが、決戦を避けた家康は夜陰に乗じて小牧山城に移った。家康撤退後の小幡城は秀吉に焼かれ、その後城主も置かれず、荒廃したという。
一帯は住宅地・学校敷地となり、遺構は残されておらず、地図の地点、駐車場隅に案内板が立つのみとなる。
城址から北西の眺め 西城小学校

参考文献 「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月