龍泉寺城

龍泉寺城りゅうせんじじょう
愛知県名古屋市守山区竜泉寺1丁目
Mapion

--龍泉寺--
別名    
交通 名古屋ガイドウェイバス「小幡緑地駅」から徒歩5分。
築城年代 1557年(弘治3)
築城者 織田信行
形式 平山城
主な城主 織田信行・羽柴秀吉
1557年(弘治3)織田信長の弟である織田信行(信勝)により築かれた。父信秀没後、末森城主となった信行は林秀貞や柴田勝家らの支持の下、信長に反旗を翻すが、1556年(弘治2)8月、稲生原合戦で敗れた。戦後林秀貞・柴田勝家らは許され、信行も母土田御前の嘆願により一度は許された。しかし再び反抗の気配を見せ、龍泉寺城を築くと岩倉城主織田信安と謀り、信長と争うが、同年11月2日、清洲城で討たれ、それに伴い龍泉寺城も廃城となった。
1584年(天正12)小牧長久手合戦の際、4月9日、長久手において池田恒興・森長可ら、羽柴秀吉別軍の敗報を受けた秀吉は龍泉寺城址に布陣し、翌日小幡城に引き揚げた徳川家康を攻めようとするが、決戦を避けた家康は夜陰に乗じて小牧山城に移った為、秀吉は止む無く火を放って楽田城に撤退した。
龍泉寺敷地内には宝物館を兼ねた模擬天守が建ち、周囲に秀吉が一夜で築いたという一夜堀が残されている。
仁王門 模擬天守(宝物館) 西側の眺め

参考文献 「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月