総社城

総社城そうじゃじょう
群馬県前橋市総社町総社
Mapion

--城址・正面は遠見山古墳--
別名 植野城
交通 JR上越線「群馬総社駅」から徒歩15分。
築城年代 1601年(慶長6)
築城者 秋元長朝
形式 平城
主な城主 秋元氏
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻め後、深谷城主深谷上杉氏に仕えていた秋元長朝は隠棲していたが、1592年(文禄1)井伊直政の推挙を受けて徳川家康に仕えると、1600年(慶長5)関ヶ原合戦の前後、上杉景勝に帰順を促す使者となる等の功により加増され、1601年(慶長6)1万石で総社に入部した。長朝は荒廃した蒼海城を廃し、新たな居城として総社城の築城を開始、この地に在った勝山城址も一部に取り込み、1610年(慶長15)泰朝の時に完成した。
1633年(寛永10)泰朝が甲州谷村城へ移ると総社城は廃城となるが、その後高崎城主安藤重長がこの地を領し、3男信富が知行すると総社町に陣屋が設けられ代官が支配した。
城址は利根川の氾濫により多くが破壊されたといい、現在は宅地や畑となり、遺構はほとんど残らない。城址にある遠見山古墳の名は1604年(慶長9)総社城築城の際、櫓が設けられた事に由来すると考えられる。西側には長朝が整備した天狗岩用水が流れる。
西側を流れる水路 畑や宅地となる 遠見山古墳
遠見山古墳上 熊谷稲荷神社 天狗岩用水

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                  「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                 「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年5月