山崎城

山崎城やまざきじょう
兵庫県宍粟市山崎町鹿沢
Mapion

--紙屋門--
別名 山崎陣屋・鹿沢城・宍粟城・宍佐和城
交通 各線「姫路駅」からバス「山崎」下車。
築城年代 1615年(元和1)
築城者 池田輝澄
形式 平城(陣屋)
主な城主 池田氏・松井松平氏・本多氏
1580年(天正8)宇野氏滅亡後、羽柴秀吉により宍粟郡は神子田正治、次いで1584年(天正12)7月、黒田孝高(如水)の領地となり、篠ノ丸城に本拠が置かれたと伝えられるが、1587年(天正15)7月、豊前国中津に移った孝高に代わり、龍野城から入部した木下勝俊は新たな拠点としてこの地に平城としての山崎城の築城を開始した。しかし1594年(文禄3)若狭国小浜に移封となり、その後は秀吉の直轄地となる。
その後1615年(元和1)6月、池田輝澄が宍粟郡3万8千石で入封すると本格的に築城され、1631年(寛永8)加封された佐用郡2万5千石を合わせ、山崎城は山崎藩6万3千石の本城となった。
1632年(寛永9)輝澄が改易されると和泉国岸和田城から松平康映が入部し、1649年(慶安2)石見国浜田城に移ると、池田恒元が入部し、池田氏が3代続いた。そして池田氏断絶後、山崎城は居城としての役割を終えた。
1679年(延宝7)大和国郡山城から本多忠英が1万石の領主として入ると、旧山崎城の本丸だけが陣屋として使用する事が認められ、明治に至るまで本多氏が9代続いた。
1872年(明治5)学制公布により山崎藩邸はそのまま学校となり、現在の山崎小学校に至る。現在歴史民俗資料館東側に紙屋門や土塀、石垣が残されている。
大手前 中堀跡 表御門跡
門跡 城址碑 本丸跡碑

参考文献 「現地案内板」
                          「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月