浦戸城

浦戸城うらどじょう
高知県高知市浦戸
Mapion

--城址碑--
別名      
交通 各線「高知駅」からバス「龍馬記念館前」下車。
築城年代 1532〜55年(天文年間)
築城者 本山梅慶(清茂)
形式 平山城
主な城主 本山茂辰・長宗我部元親・山内一豊
鎌倉時代末期よりこの地には土豪の城塞があったといわれるが、本格的な築城は戦国時代、本山氏の頃と考えられる。
1521〜28年(大永年間)本山梅慶(清茂)は朝倉城を築き、土佐平野部へ進出すると、1532〜55年(天文年間)岡豊城主長宗我部国親の種崎城に対抗する為、北西の長浜城と共にこの浦戸城を築いたとされる。
1560年(永禄3)梅慶の跡を継いだ茂辰は戸ノ本合戦に敗れると浦戸城に籠もるが、国親に攻められ落城すると朝倉城へ逃れた。
1588年(天正16)長宗我部元親は岡豊城から大高坂城に本拠を移すが、水害に悩まされた為、1591年(天正19)この浦戸城に本拠を移している。
1601年(慶長6)1月、関ヶ原合戦後、長宗我部氏に代わり、土佐国20万2千6百石を与えられた山内一豊は浦戸城へ入城するが、土地が狭く、城下町建設に不適当であった為、高知城を築いて移ると、浦戸城は廃城となった。
龍馬記念館や桂浜荘一帯が詰の段(本丸)とされ、天守台跡や井戸が残されている。ここから西へ二の段・三の段と続く散策路が設けられており、曲輪跡や三重堀切が確認出来る。
詰の段(本丸) 詰の段跡に建つ龍馬記念館 復元された石垣
天守台跡に建つ城八幡・大山祇祠 井戸跡 三重堀切

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
                 「香川・徳島・高知の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年1月